みのるの古文書談義
ふるさとのお社(28)
~日吉神社③ ~
去る5月28日、我ら高校時代に物理を担当され3年2組の担任をなされていた川島侃先生が御逝去されました。謹んで哀悼の意を表します。
さて母校明善は平成29年12月の竣工を目指し着々と校舎の建て替え工事を進めておりますことを皆さんご存知でしょうか?
現在の校舎の配置を多少北寄り=篠山城寄りに移動するぐらいでロの字型の形状は変わらないみたいですが、昨年の大同窓会に展示してあった完成見取り図に拠ると、あの古き時代を思わせる飾り破風等が無くなり、なんとなくビジネスライクな外観になりそうです。当然例の幽霊の出そうな階段の踊り場なぞもないでしょうね、残念!
またこの際にということで、すでに完成から30数年たった創立100周年記念資料館=通称同窓会館(行在所手前の2階建て、といっても我等卒業時には存在しておりませんでしたが)が老朽化してきたためこちらも改装、または移動しての完全建て替えの計画が持ち上がっております。
建て替えとなれば行在所庭園は大々的に整備されフリースペースとなって昼休みに弁当開いたり談笑の場となったりして只今よりずっと利用価値が上がりそうですね。
・・・んでも、当然ながらそのための費用は必要だそうで、どうやら各同窓会学年単位で寄付の要請がその内ありそうです。
それでは久しぶり久留米に戻りまして、日吉町の「日吉神社」であります。
今回は裏口からまいりましょう。 (さらに…)
2012 年 7 月 11 日 9:19 AM |
カテゴリー:みのるの古文書談義|コメント(0)
ふるさとのお社(27)
~番外編/八坂神社(の奥の円山公園他)~
随分の御無沙汰ですが、みなさんその後お元気でお暮らしでしょうか?
なんと今年初めての“よんでみ亭”であります。あ、今年もよろしくお願いしますね。
「さくらァ~、さくらァ~・・・俺がいたんじゃお嫁に行けぬ、分かっちゃいるんだ妹よォ・・・」
というわけで荒ぶる神スサノヲを祀る八坂神社へ行って参りました。
朝一番でしたので観光客もまばらな中、珍しく祇園側から大鳥居をくぐり神殿にお参りした後すぐ奥の円山公園へ。地ベタ一面ブルーシートだらけでありました。この季節毎日が狂乱のお花見なのね。
(さらに…)
2012 年 5 月 1 日 10:48 AM |
カテゴリー:お知らせ, みのるの古文書談義|コメント(2)
ふるさとのお社(26)
~特別編/近江の紅葉~
みなさんその後お元気でお暮らしでしょうか?
散々な2011年もようやく12月に入り、わたし等57回目の年末をこうして息災に迎えることのできるという現実は幸運以外の何物でもないと思いつつ、綱渡りのヨーロッパ経済や我が国のポピュリズム政治家のアホさ加減を毒突きながらグダグダと毎日が過ぎて行きますがみなさんは如何でしょうか?
まずは来る11日(日曜)の忘年会の御案内であります。 (さらに…)
2011 年 12 月 20 日 12:01 PM |
カテゴリー:みのるの古文書談義|コメント(0)
ふるさとのお社(25)
~日吉神社②~
「豊葦原の千秋長五百秋(ちあきのながいほあき)の水穂國はいたく騒ぎてありなり」
朝晩随分と秋めいて参りましたが、みなさんその後いかがお過ごしでしょうか?
今年も恒例の明善大同窓会の季節がやって参りました。
例年10月の第2土曜でしたが今年は第4土曜である22日ですのでお間違いなき様。また例の如く「創世」で2:30のスタートであります。
会費は5000円ですが補助により2000円だそうです。当然2次会(日吉町Jimmy‘s BAR 6:00くらいから)も用意しておりますので各位時間に余裕を持って御参集くださいね。
尚、当番学年は3ッ年下よ。んでまたまたサブ会場だからして毎年盛り上がり放題です。チョ~お気楽に御参加下さい。
では前々回の続きでありますがその前に少しおさらいを・・。
(さらに…)
2011 年 10 月 19 日 8:45 AM |
カテゴリー:みのるの古文書談義|コメント(0)
ふるさとのお社(24)
~番外 ソウルライブ~
「朱蒙(チュモン)は扶余の王の娘と結婚し王の死後、扶余王となり、 後に高句麗を建国した。二児が生まれ長男が沸流(ビリュ)次男が温祚(オンジョ)と呼ばれた。
しかし朱蒙には北扶余にいた頃の腹違いの息子がおり、結局その息子 が朱蒙を訪ねてきて高句麗の太子となったので、沸流と温祚は母とともに10人の家臣と多くの百姓を引連れて高句麗を離れ朝鮮半島を南下した。
二人は漢山に至り国見をするが、ここで兄弟の意見が割れた。百姓の半分を連れた温祚は河南の尉礼(今のソウルあたり)に都を作り、沸流は海浜の弥雛忽(今の仁川あたり)に住みつく。
ところが弥雛忽は湿っぽく水も塩辛かったのでここに移住した百姓は 大変苦労するが、ある時温祚のいる尉礼を訪ねた沸流はそこが豊かに栄えているのを見て自分の不明を恥じ死んでしまった。
初め温祚の建てた国は10人の家臣が協力したので“十斉”といっていたが弥雛忽に住んでいた人々も尉礼に移り多くの民が楽しく従ったので“百済”と改めたのである。(伝紀元1世紀頃)」
その後みなさんお変わりありませんでしょうか?
早いものでもう8月も過ぎて風立ちぬ9月であります。各位お元気でお過ごしですか?
去る8月26日、高松正行君と和泉信吉君の参加するブルースバンド“夕暮算太band”を追っかけてソウルへ行って参りました。
(さらに…)
2011 年 9 月 1 日 10:30 AM |
カテゴリー:みのるの古文書談義|コメント(0)
ふるさとのお社(23)
~日吉神社①~
「吾をば倭(やまと)の青垣の東の山の上に拜(いつ)き奉れ」
みなさんその後いかがお過ごしでしょうか?
前回より3ヶ月余りが経ち随分御無沙汰いたしておりましたが久しぶりのこのコラム遅まきながら再びお送りしたいと思います。
なんてったって3月11日を境にして人生スロウィング・スピアーになっちゃってまして刹那的思考しかできなくなりました。さあさあ飲めるうちに飲んで遊べるうちに遊ぼうと・・。もとよりその傾向があったのは近しい諸君は御存じだったでしょうが底が抜けたと申しましょうか、これでもかと花見も3回やったのでありました。ちょ~楽しかったわ・・。
(さらに…)
2011 年 6 月 21 日 2:53 PM |
カテゴリー:みのるの古文書談義|コメント(0)
ふるさとのお社(22)
~諏訪神社③~
・・・さらに注目したいのは、この(和邇ワニ氏)一族の
なかに、柿本人麻呂のような人物がいることである。しか
も人麻呂の歌を通してみるとその世界観は『古事記』のそ
れと完全に一致する。だからと言ってその(古事記の)作者を
人麻呂のような特定の個人に擬するまでに煮詰めることは
できないけれども、その一族の誰かであるとみてよかろう。
(川副武胤)
今年の冬は近年になく寒いですね~。みなさんお元気ですか~? (さらに…)
2011 年 3 月 3 日 9:45 AM |
カテゴリー:みのるの古文書談義|コメント(0)
ふるさとのお社(21)
~番外おさらい編~
少(わか)くして学べば則(すなわ)ち壮にして為す有り。
壮にして学べば則ち老いて衰へず。
老いて学べば則ち死して朽ちず。 (佐藤一斎)
みなさん明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
昨年末から大雪に見舞われておりますがみなさんいかがお過ごしでしょうか?
さて年頭からお詫びの御報告で申し訳ありませんのですが、昨年10月の大同窓会後の2次会の折に広言致しました本年2月18日の別府お泊まり会は諸般の事情により中止致します。
(さらに…)
2011 年 1 月 26 日 4:33 PM |
カテゴリー:みのるの古文書談義|コメント(4)
ふるさとのお社(20)
~諏訪神社②~
・・そしてこれは多くの学者を驚かした説なのですが、
私はいろいろのことを考えて、稗田阿礼は藤原不比等
の仮名であると考えています。 (梅原 猛)
今年もいよいよ最後の月となりましたが、みなさん息災にお過ごしでしょうか?
先日の忘年会、大変お疲れ様でございました。とても楽しかったですね!
会場の諏訪中近くの居酒屋“天井座敷”のフロアーは貸し切り状態であったけど遅れて来た人・飛び入りで来た人で追加の嵐!たぶん当初見込みの30人は軽く超え40人近くになったと思いますが店の人もテンヤワンヤ。世話人の黄昏シンちゃんには大そうお世話かけました。
10月の大同窓会以来の大宴会で、あっちでしゃべったりこっちで飲んだりと何がなんだかの狂騒状態でございましたがただ一つ鮮明に覚えておるのが、某金融機関の支店長である緒方義親君の結婚(入籍?)暴露に乾杯!でありました。
お相手は26歳ということで「おめでとう!」の連呼でしたが「でも大変ね!」という声も。大きなお世話ですが娘みたいな歳のお相手にヤッカミも当然であります。だがしかし!
(さらに…)
2010 年 12 月 21 日 9:32 AM |
カテゴリー:みのるの古文書談義|コメント(0)
ふるさとのお社(19)
~諏訪神社①~
「豊葦原の千秋長五百秋(ちあきのながいほあき)の水穂國は、我が
御子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめの
おしほのみみのみこと)の知らす(治める)國ぞ。」 (天照大御神)
去る10月9日の大同窓会、大変お疲れでございました。
われらが48会は総勢50人ほどでしたが例年の如く第2会場で賑々しく盛大に、相変わらず第1会場のメインステージの進行に関わりなく楽しいひと時を過ごさせていただきました。
いや~盛り上がりました!二次会も30人以上の参加者で、遠くは金沢から駆けつけてくれた5組の伊東君も付き合ってくれました。
毎年こうして必ず1回は再会の場があるっちゅうのはとても素晴らしいことですね。個人的には途中から記憶が桃色の霞の中に溶けてしまいごめんなさい、友人諸君。
(さらに…)
2010 年 11 月 15 日 10:19 AM |
カテゴリー:みのるの古文書談義|コメント(0)