第92回48回ゴルフコンペ結果
久々にコンペ成立しました、暑いだろうと思っていましたが、
曇りで風もあり、今の時期にしては、快適にゴルフができました。
結果は
会場は博多東急ホテルです。1回戦滑り込みスタートしたことで動揺したのか僅差の3位でした。休憩時間(10分だったと思いますが)に顔を洗って熱いコーヒーをもらって、仕切り直しです。2・3回戦の得点が大きかったのか5位です。4回戦で2位以上を確保できなければ全国大会出場権の6位までに入れそうです。そこで4回戦は今までの打ち方を変え、守り6、攻め4の比重にした打ち方で臨みます。その結果無事2位を確保してトータル6位でした。段位も一つ上がって2段を頂きました。下位からの追い上げがきつくちょっと危なかったのですが、第2のハードルをクリアしました。次はいよいよ全国大会です。一睡もせずに約4時間ゲームに集中したので、とても疲れました。早く久留米に帰って一眠りしたい・・・
~幕末編番外松蔭神社㊤~
身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂
(吉田松陰『留魂録』より)
ひと月振りのご無沙汰ですが、みなさんお元気ですか?
毎年ながら梅雨のこの時期はジトジトと気鬱になりがちですが、パキッと気分を換えて楽天で行きましょうゼ!・・ということで、わたくしこの度ひょっと思い立ち例の土日高速道千円乗り放題というのを利用して山口県は萩に行って参りました。で、急な話で申し訳ありませんが前回予告の平野二郎国臣編は次々回へ順延いたします。
久留米から高速中国道美祢インターまで2時間、それから一般道で1時間の道のりであります。人口54,000人の日本海沿いの町で本土とは言へ九州から見てもちょっと不便なところにありますね。
萩は江戸時代に長州藩政庁があったところであります。関が原の戦いで西軍の総帥に担がれた毛利輝元は敗戦により所領を中国8ヶ国120万石から防長2ヶ国37万石に削られました。関が原では一兵も動かさないうちに義理婿小早川秀秋の裏切りにより敗軍の総大将になったわけですが、家康と同じくらいの大藩であった輝元が東西拮抗するこの戦さで最後に漁夫の利を得ようと日和見していたための結果であったようでもあります。またその後の国替えでは幕府の意向により、候補地として挙げた山口・三田尻(防府)・萩のうち最も不便な萩に広島から藩政庁を移し築城しました。指月(しづき)城(萩城)であります。(下図の左上出っぱり一帯。なお濃い緑は山、薄い緑は海と河)
まあここであったればこそ結果的に良かったかと存じます。戦災にもあわず歴史的遺構が数多く残っているんですもの、うらやましい限りです。