ふるさとのお社(13)
ふるさとのお社(13)
~伊勢天照御祖(みおや)神社①~
この神酒(みき)はわが神酒ならず倭(やまと)成す
大物主神の醸(か)みし神酒 幾久(いくひさ) 幾久 (崇神天皇)
みなさんその後お元気でしょうか?
立春を過ぎ梅もほころんで随分と春めいてきましたが、みなさん風邪などひかずお変わりなく御活躍のことと存じます。
さて今回は大神宮(伊勢神宮)の分社であるところの伊勢天照御祖神社であります。じつは市内に同名の神社が2社あり、由来などを調べていくうち日本の神話の謎と申しますかそのあまりの面白さに茫然自失、何をどう書けばいいのか逡巡しておりました。で、この稿のお届けが遅くなりました。
まずは、高良大社の摂社(本社の境内にあり御祭神と深いつながりのある社)である天照御祖(あまてらすみおや)神社であります。御手洗池を渡り二の鳥居をくぐって登山道を200メートルばかり登ったところに鎮座されております。御祭神はむろん天照大神。左右には八幡宮、天満宮をお祀りしております。
またまた久し振り高良山に登りましたが(たった200メートル)やっぱりきつかったです。
天照大神は御存知のようにイザナキ・イザナミの神からお生まれになりました。
『古事記』によれば、天地が現れ動きはじめた時まずアメノミナカヌシ(水天宮祭神)・タカミムスヒ(高良山麓の高木神社祭神)・カムムスヒの造化3神が出現、ムスヒの神のエネルギーによって世界は生成されていくうちにイザナキ・イザナミが出現してクラゲのごとく漂うだけの地上を整えるために天降ります。2神が合い交わって国生み神生みの途中火の神カグツチを出産したため死んだイザナミを追って根の国(黄泉の国)に行ったイザナキは、イザナミとの約束を破りウジのたかる彼女を見て怖くなり葦原中国(あしはらのなかつくに)に逃げ帰ります。イザナキが穢れを祓うためミソギをするなかでアマテラス、ツクヨミ、スサノオの3神が出現します。
これが『日本書紀』になると少し違って、中国風の陰陽思想を土台として、はじめに混沌がありその中から陽と陰が分かれ清く明るいものは上に昇って天となり重く濁ったものが滞って地となり、陰陽の気入り混じって男女神が出現し、それより生まれた男神イザナキと女神イザナミが合い交わって大八洲(おおやしま)国と山川草木を産んだのち、この世界の主宰者たる者を創ろうとしてアマテラス(天照)、ツクヨミ(月読)、ヒルコ、最後にスサノオを産みました。
「合い交わって」と御紹介しましたが古事記には初めて国生みする時このように書かれております。
「是に(イザナキの命)其の妹(いも)イザナミの命(みこと)に、『汝が身は如何にか成れる』とといたまへば、『吾が身は、成り成りて成り合わざる処、一処あり』。イザナキの命詔(の)りたまはく、『我が身は、成り成りて成り余れる処、一処あり。故(かれ)、此の吾が身の成り余れる処を以って、汝が成り合わざる処に刺し塞ぎて国土を生み成さんと以為(おも)ふ。生むこと奈何(いかに)』とのりたまへば、イザナミの命『然善(しかよ)けむ』と答へたまひき。ここにイザナキの命『然らば吾と汝(いまし)と是の天の御柱を行き廻り逢ひて、美斗能麻具波比(みとのまぐはひ)為(せ)む』とのりたまひき。」と、これは有名なわが国史上初の口説きの場面であります。
ところがこのあと中国の儒教(男尊女卑)の影響か、はたまたヒルコの出生の謎をここで説明するためか次のように続いております。(以下現代文)
「このように約束して『(天の御柱の周りを)汝は右より巡り逢え。我は左より廻り逢おう』とおっしゃって決め終わって廻る時、イザナミの命、先に「まあ、なんてよい男なんでしょう」と言い、そのあとでイザナキの命『なんとよい乙女なんだろう』と言いそれぞれ言い終わった所でイザナミの命に『女が先に言うのはよくない』と告げられたが、そのまま合い交わって生んだ子が水蛭子(ヒルコ)あった。この子は葦舟に入れて流した。次に淡島を生んだがこの子もまた子の類に入れなかった。」
すなわちヒルコは古事記では2神の第1子であったのですが、かわいそうに蛭のごとく骨無しのぐにゃぐにゃでありましたので舟に入れて流したそうですがその舟が漂着したところが西宮(兵庫県)で、西宮神社の祭神がヒルコ神=蛭子=エビス=恵比寿様でありますそうな。
一方、日本書紀の国生みの項では「一書に曰く、」として次のように2神の初めての“合い交わり”を紹介しております。
「遂に合交(みあはせ)せむとす。而(しか)もその術を知らず。時に鶺鴒(にはくなぶり)有りて、飛び来たりて其の首尾(かしらを)を揺(うごか)す。二(ふたはしら)の神、見(みそなはし)て学びて、即ち交(とつぎ)の道を得つ」
私事で恐縮ですが、毎朝犬の散歩で近くの公園などを廻るのですがそこにある調整池に近頃カワセミが住み着いております。初めて見た時はビックリしました。なにせ自然のなかで見るのは文字通り初めてでしたので、その美しさにしばし見とれてしまいました。で、思い出したのが鶺鴒(せきれい)。即座に日本書紀の一場面を連想いたしました。
となると不届き千万にも斯様な江戸川柳に辿り着くのでありました。
鶺鴒は一度教えてあきれはて
鶺鴒の曰くさてさて御器用な
そこまでは教えていぬと鶺鴒言い
さてもう一社のほうは大石町にありました。ですが御祭神が違っていたのであります。そは一体如何なる神様か?また長くなりそうなので次回にお送りいたします。
ではまた次回をお楽しみに。
亭主敬白