特別寄稿『日本人のアイデンティティー』  友添秀樹

高校2年の夏休み、友人の津留崎一郎君(その当時はもちろん髪がフサフサでした)と二人で旅に出ました。博多発の夜行で山陰線に乗り、早朝出雲大社の横の今は無くなった大社駅に降り立ったのです。その後、敦賀・琵琶湖・京都・大坂・四国に渡り航路別府に着いて久大線にて帰久する貧乏旅行でした。

旅行2日目早朝に、大社駅に下車した後、出雲大社に参拝した時の感動は30年経った今でも忘れられません。魂の感動とはこういうものだと高校生の身に感じ入りました。振り返るとその感動というのは日本人の心の奥底にある永い年月をかけて積み重ねられDNAに 擦り込まれたある種の宗教感かもしれないと思われます。

私は30歳を過ぎた頃から『日本人にとっての神とは?』、『2000年前の人たちがいかにして日本人としてのアイデンティティーを確立したか?』が気になり、記紀神話(8世紀の段階で編集された古事記・日本書紀)を読み始めました。

戦後『宗教』や『信仰』と言う言葉は教育界においては一種のタブーのようになり『理性』や『科学』がすべてで前者は迷信に他ならないという風潮でした。しかしながら頭では自分は無宗教と思っていても、日本人の3つ子の魂は抜けきれないはずです。例えば、日本人なら神社でおみくじを引く、正月に三社参りをするのは当たり前ですね。いや私は神社でお守りなど買ったことがないという人などめったにいないでしょう。

これはまさに宗教以外の何ものでないのです。

ある本に書いてあったのですが、人口に占めるクリスチャンの割合が日本人の人口の1%未満で、あのイラクでさえ3%以上というから不思議だと思いませんか? だってミッション系の学校が周りにどれだけあると思いますか?(上智・青山・同志社・西南・久留米では信愛etc)考えたらある意味、異常です。 思うに、16世紀種子島に鉄砲と一緒に(?)伝わったキリスト教も日本人にとっては八百万神(やおよろずのかみ)の中の一神としてとらえたのではないのでしょうか。なにしろ日本という国はキリスト教、イスラム教などの一神教の世界とは異なり、万物には精霊が(例えば風神・雷神・水神さんなど)宿るという多神教(アニミズム)を信ずる国であったからでしょう。アニミズムとは霊的な生命を人格化して『神』と呼ぶのですが、記紀神話は5世紀以前の出来事をどこかに織り交ぜて神話として隠してしまいました。もちろん私も天孫降臨とか神武東征は信じていませんが(そのルーツは飛鳥の政変劇)その書物が書きあがった時代に権力者の都合の良い(持統天皇の元で藤原不比等が編纂した)書物に書き変えたと思われます。おそらく松本清張なみのフィクション作家がいたのでしょう。

話は戻りますが、日本人のアイデンティティーの確立についてですが、古代日本には縄文文化が発達していまして、例えば青森三内丸山遺跡などは発掘調査によると1万5千年の歴史を持ち、周りではドングリ(食用)の栽培までしていたそうです。のちの法隆寺建築を見るようなその木材の文化(大陸では見ることのできない日本独特の優美な仏教建築技術)を持った縄文人と、中国あるいは朝鮮で王朝の交代とともに一族で船団を組み海を越えて日本列島に渡って、あるいは逃げてきた渡来人(昔は帰化人と呼ばれていたが、戦後朝鮮半島からのイチャモンで渡来人と呼ばれるようになった)は、日本列島の先にはもはや大海原しかないことを知り争うことを避けてゆるやかに、縄文人と弥生人として墨と水とが交わるように融合していったと思います。

日本各地で伝承される徐福伝説(BC170年前後に始皇帝の命令で不老不死の薬を探すため3千人の人を連れて日本に上陸し住み着いた。特に佐賀県には数々の言い伝えがある)も無視できないのです。それは九州、出雲に上陸した弥生人たちが稲作文化と鉄を携えて、融合した人々の子孫が徐々に新しい形の日本人として日本の原型を作っていったのでしょう。

付け加えれば『私は日本列島の住民』という意識、アイデンティティーが各々の『個』の中に確立した時点で『日本人』は誕生したのです。

そしていくつもの『クニ』ができ、大和盆地のマキムクに連合国家が生まれます。その国がいわゆる『ヤマト』と呼ばれ、のちの聖徳太子が制定した十七条憲法に記載されている「和をもって尊しと成す」いわゆる何でも独断で決めずに話し合えというくだりでありますが、その利点は他者との共存が得意なところで、今いう『あいまいな日本人』とでもいうのでしょう。これが古代から脈々と続く定めでその時代の首長達がゆるやかな合議制の基に天皇(その頃は祭司を司るシャーマン)を擁立し、古代国家を形成しながら古墳時代へと入って行くのです。

最後に、

はじめ博多発夜行に乗る時友人に言いました。

「オイ、ビール飲もうか?」

友人は言いました。「高校生がビールはいかんやろ!」

10日後別府で帰久する間際、私は言いました。

「のど渇いたんでコーラ飲もうか?」友人はこう返したのです。

「コーラじゃのどの渇き止まらん!」

目の前には電飾で彩られた別府“ハリウッド”の看板。

当然列車には1本乗り遅れました。

高校2年の夏は僕にとっても友人にとっても成長の夏だったのかもしれません。

次は神話について語らせていただきます。

克己尽力楽天

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