よんでみ亭 130回
ふるさとのお社(18)
~須佐能袁(すさのを)神社②~
秋めくや焼鳥を食ふひとの恋 (石田波郷)
毎度お暑うございますが皆さんにはお変わりありませんでしょうか?
無常迅速8月もアッという間に終わりすでに長月9月であります。と申しますと今年も残すところあと4ヶ月となりました。うう、はや~!
9月は私の誕生日、10月9日明善大同窓会、11月27日が卒業以来初の城南中学年同窓会と毎月イベント続きであります。当然飲み会続きで肝臓と懐は悲鳴を上げるのですがそこはそれ、2010年の秋は人生に1度きりということで懐かしい友人達と乾杯乾杯また乾杯、友情プラス稚気と酒気がない交ぜになって怒涛の如く恒例年末行事(忘年会などなど)へとなだれ込んで行くのであります。
要するに今年も飲むばっかしだったかシラン・・。
それはそうと。
前回はスサノヲのせいで天の機織女が死んでしまった所まででしたね。
これにはさすがのアマテラスもお怒りになって(見畏‹かしこ›みて)天の石屋戸(岩戸)にお籠りになりました。結果、高天原も葦原の中つ国も悉くに暗くなって夜ばかり続き禍(わざわい)が頻発します。
はてさて八百万の神々は困ってしまいました。
そこで知恵者の思金(オモイカネ)神が名案を思い付きます。まず常世の長鳴鳥(にわとり)を集め石屋戸の前で盛んに鳴かせ、榊の上の枝に八尺(坂)瓊勾玉(やさかにのまがたま)を掛け中枝に八咫(やたの)鏡を、下枝には白と青の幣を掛けさせました。
石屋戸横には手力男(タヂカラヲ)神を控えさせたうえで天宇受賣(アメノウズメ)命がひっくり返した桶の上で踊り始めました・・・“槽(うけ)伏せ踏み轟こし、神懸かりして、胸乳をかき出て裳紐を陰(ほと)に押し垂れき。ここに高天の原動(どよ)みて、八百万の神共に咲(わら)いき。”
一方アマテラスは不審に思われたのでありましょう天の石屋戸を細目に開けられておっしゃるには、
「わたしが籠っているので天の原も葦原中国も真っ暗なはず。なのになぜアメノウズメは歌舞いし八百万の神はみな笑っておるのじゃ?」
「あなた様より貴き神がいらっしゃいますので喜び笑い歌舞いしております。」とアメノウズメが答える間に天兒屋(アマノコヤネ=中臣‹藤原›氏の祖)と布刀玉(フトダマ=忌部氏の祖)が八咫鏡を差出しアマテラス自身を映させる。
こはいかに、と鏡に映った自身の姿を「あれは誰じゃ?」もそっとよく見ようとアマテラスが石戸よりやや身を乗り出したのをハッシとその手を掴まえてタヂカラヲが引き出した。後ろに回ったフトダマすばやく注連縄を張り渡し「どうかこの内に還り入り給うことなかれ。」 (敬称略)
こうして“天照大御神出でましし時、高天の原も葦原中国も、自ずから照り明りき。”とて光が再び戻ったのでありますが、さてこの騒ぎの落とし前をつけねばなりません。
ここに八百万の神々は相談し、スサノヲの持ち物をすべて没収し(千位の置戸‹ちくらのおきど›を負わせ)髭を切り手足の爪を引き抜いて高天の原を追放したのでありました(神逐らひ逐らひき‹かむやらいやらいき›)。
ということで高天原編はこれでひとまず終わりであります。皇室の3種の神器のうち只今は伊勢神宮の御神体である鏡と皇居に安置されております玉璽の2種の由来が書かれておりますね。
さてこれより天界を追われたスサノヲの地上に降り立った先は出雲の国での英雄譚が展開されます。
ご存じ八岐大蛇(ヤマタノヲロチ)伝説でありますがスサノヲの怪物退治と嫁取りの物語であります。乱暴者のスサノヲは前節と打って変わり、この物語では8人の娘のうち7人までオロチに食べられた老夫婦に同情し、最後の一人であるクシナダ姫を嫁にくれるならオロチを退治して娘を救ってやろうと一肌脱ぐ好漢として描かれておりますね。
ということで酒を飲ましてオロチが酩酊したところをスサノヲが切り刻む。と、尻尾を切ったらカチンと音がしたので切り裂いたところ一振りの剣が出てきた。これは畏れ多い神物であるといってアマテラスに献上したのが只今熱田神宮の御神体であり3種の神器の一つである草薙の大刀=天叢雲(あめのむらくも)の剣であります。これで3種揃ったわけでありますね。
昔々わたしらが小学生の頃これら建国譚を描いた文部省選定映画ということで映画館に学校ごと見に行った覚えがあります。このオロチのシーンなどうっすら記憶がありますが皆さんはいかがでしょうか。
ちなみにこちら古事記に書かれている神代よりはるか後代の壇ノ浦平家終焉の時、いつぞやこの『よんでみ亭』でも書きました通り安徳天皇の祖母である二位の尼(平時子=清盛の正室)が安徳天皇を抱いて入水する折、身につけて海に沈んだ八坂瓊勾玉は浮き上がってまいりましたが、天叢雲の剣のほうはそのまま波の下、未だに行方知れずということです。
いやいやそれは形代(かたしろ)であって本物はやはり熱田神宮にあるという説もありますが、さてさて。
スサノヲはこの後、出雲の国の須賀(すが)という地に到りました時「ああこの地はすがすがしい」と言ってここに新婚のための宮殿を作ります。
その時詠んだ歌が、
八雲立つ出雲八重垣妻籠みに
八重垣作るその八重垣を
であります。こちらが我が国の和歌の嚆矢ということで『古今和歌集仮名序』にも我が国初の歌(アマテラスの兄スサノヲ作)となっておりますが・・。
その歌わんとするところの意味はというと、『日本の神様事典』などのスサノヲの項の解説では、「八岐大蛇は出雲を流れる斐伊川のことであり、この歌は水霊に奉仕する神女との聖婚による豊穣神としてのスサノヲの神格を表している云々」げなですが、いまいち言葉足らずで意味不明・・。
さて実は古事記より遅れること21年後に出来上がった『出雲の国風土記』には古事記に書かれているようなスサノヲの物語はございません。すなわち天津神どころか須佐郷という小さな盆地の守護神と紹介されおり、また地元の伝承によればもともと新羅の神であったそうな。日本書紀にも高天原を追放されたスサノヲは新羅のソシモリという所に降下したが「この地には私は居たくないのだ」と言って舟で出雲へやって来た、となっております。(一書第四)
で、そんならスサノヲは一体何者なの?ということになりますでしょう?
ここまでお付き合い下さった皆さんならお察しの通り、結局のところスサノヲとは天孫族に国譲りを強要された出雲族の、元々は韓半島由来の神であった、ということになりますね。
であるからヤマトから見れば初手は荒ぶる異国の神であり疫神であったというのも腑に落ちますでしょ。
一方聖婚歌であるという先ほどの歌は出雲族から見ればどういう意味となるか?
「おれらイヅモの民はヤマトに負けただ。土蜘蛛(つちくも)と呼ばれてヤマトの下僕になる運命だ。あいつらがやって来たら女どもはみんな奴らの慰みものになるぞ。おれらの妻や娘らを何としても奴らの目から隠せ。何重にも垣を作ってその奥の奥に隠れさせろ。でなきゃ・・。」
八(たくさんの)雲(クモ)立つ出雲八重垣妻籠みに
八重垣作るその八重垣を
オウ、マイゴッド!
ということで今回は終わりであります。
ではまた次回。
亭主敬白