よんでみ亭 129回
ふるさとのお社(17)
~須佐能袁(すさのを)神社①~
八雲立つ出雲八重垣妻籠(つまご)みに
八重垣作るその八重垣を (須佐之男命)
毎日チョ~暑い日が続いておりますが、みなさん息災にお過ごしでしょうか?
今年は梅雨のドカ雨・夏は猛暑と、仕事に出ていく意欲を減退さすような、はたまた楽しく暮らすというモチベーションを萎えさすような、地獄の釜のような天気の毎日でありますね。
立派な楼門でありますね。草野にあります須佐能袁神社であります。
上の由緒書でもご案内のように明治の神仏分離令までは“祇園社”と呼ばれていたと存じます。たぶん。
祇園というは、祇園精舎のことでつまりは釈迦が説法をしたインドの寺院のこと。ここの守り神が牛頭天王(ごずてんのう)で8世紀頃スサノヲと習合しました。すなわちスサノヲとは日本にある時の姿で正体は仏法の守護神牛頭天王であり、またその神すらも仮の姿でその本地は薬師如来であったのでした。(・・・本地垂迹ってよく分からんからご自分で調べてね。)
先日京都であった祇園祭は有名ですね。コンチキチン・コンチキチンと祭囃子の音もとってもステキですが、もともとは感神院祇園社(明治より八坂神社と改称)で疫病神を慰めるための御霊会が起源だそうな。荒ぶる神スサノヲは疫病神でもあったのであります。(下記参照)
ということで灼熱の現世を忘れて再び神話の世界へとご案内しましょう。テキストは大体古事記であります。
さて、父神イザナキに追放を言い渡されたスサノヲ(須佐之男命)は「それでは姉神アマテラスに事情を話してから去(い)んでしまおう。」と高天原に登ります。
そもそも須佐は進む、荒ぶるという意味だそうで文字通りスサノヲが歩を進める毎に山川悉くどよめき国土皆震動したとあります。
あまりな騒動に驚いたアマテラスはきっとスサノヲが私の国を奪いに来たに違いないと思い戦の支度をしてスサノヲに向って言うには、
「なに故に登って参ったのじゃ。」
スサノヲ答えて曰く、
「僕(あ)は邪な心は持っておりません。ただ大御神(イザナキ)が、僕が何故泣き叫ぶのかをお尋ねになったので、母(イザナミ)の国(根の国=死の国)に行きたくて泣くのですと申し上げました。そうしたら大御神は『汝はここに居るべからず。』とおっしゃって、僕を追放なされたのです{神(かむ)逐(や)らひ逐らひたまへり}。ですので退去する事を御報告しようと参上したのです。異心などありません。」
「ならば汝の心が清く正しい(明し)ということをどうやって知ればいいと言うのか。」
スサノヲ「誓(うけ)ひして、子を生まむ。」
こうして身の潔白を証明するためにスサノヲは(なぜか分かりませんがお互いに)子を生むことを提案したのであります。
まずアマテラスがスサノヲの十拳剣(とつかのつるぎ)を乞うとその剣を三つに折って噛み砕き、プッと吐き出すその息吹から3柱の女神が生まれました。ちなみにこの3神がわが福岡県宗像大社の御祭神であります。
一方そのあとスサノヲはアマテラスの身に付けていた五つの勾玉と珠を噛み砕き、プッと吐き出すその息吹からは5柱の男神が生まれました。ちなみに最初に生まれた男神が天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)であり即ち歴代天皇の祖神である天孫降臨したニニギ命の父神であります。
ここでアマテラスはスサノヲにこう告げます。ここもよく分かりませんが、
多分アマテラスは男の子が欲しかったのでしょう、
「後に生まれし5柱の男子は物実(ものざね=物のできるもと)我が物より成れリ。よって吾が子ぞ。先に生まれし3柱の女神は、すなわち汝が子なり。」
ここからスサノヲは豹変します。
「我が心清く明し。なぜなら我が生める子は手弱女(たおやめ)であったから。これによって言うなら自ずから我は勝ったのだ。」
こういうところが古事記の上手い所でありますね。たぶん稗田阿礼は朗々と謡うが如く口述していったのでしょう。このセリフからスサノヲが昂ぶっている様子が窺えますね。
でありますがなんだか安直に、この後のハチャメチャ振りの原因を次のたった一言で表現し終えております。
“勝ちさび”に=『誓約(うけい)での』勝ちに乗じて・・・アマテラスの営田(つくだ)の畦を壊し溝を埋め、また新穀を召し上がる祭殿(大嘗を聞こし召す殿)に屎(くそ)まり散らかした。
けれどもアマテラスはこう言ってスサノヲを宥めようとした。
「屎なすは酔って吐き散らかしたのだろう、我が弟のやりそうなことだ。また畦を壊し溝を埋めたのは土地を惜しんだのだろう、我が弟のやりそうなことである。」
ところがスサノヲの乱暴狼藉は一向に止む気配も無くかえってエスカレートする一方であった。
とうとうある日アマテラスが清浄な機殿 (忌服屋いみはたや)で神御衣(かむみそ=神に献ずる衣)を織っていらっしゃる時、スサノヲは建物の屋根に穴を穿って生皮を剥いだ天馬を投げ入れた。驚いた機織の天女は梭(シャトル)で女陰を突いて死んでしまった。
さあ、この辺りもなんとなく納得できない展開ですね。どうして弟はそうグレちゃったのか・・。
識者によれば、アマテラスに象徴される先進世界(農業や機織を営む平和的な弥生文化)に反抗するスサノヲに象徴される野蛮な後進世界(狩猟を営み好戦的な縄文文化)の比喩だそうですが、そもそも男性格であった日神が、農業神として豊穣のシンボル化された女性格に変化し最高神となるために用意されたのが次の『天の石屋戸』編でありました、というはなしですが・・つづく。
次回は、何を謡っているのか判らない“本邦初と言われる短歌”であるところの冒頭のスサノヲの歌の意味を探りつつ、天岩戸における天鈿女(あめのうずめ)の活躍ぶりをお送りする予定です。
亭主敬白