ふるさとのお社(16)
ふるさとのお社(16)
~番外 伊勢神宮②~
皇(おほきみ)は神にしませば天雲の
雷(いかづち)の上に盧(いほり)するかも (柿本人麻呂)
みなさんその後いかがお過ごしでしょうか?
はや6月であります。そろそろ梅雨入りの頃でありますがここんとこ清々しい青天が続いておりますね。一年中こんな天気ですとしのぎ易くて助かりますが、農作物の出来にえらい影響が出たり他の産業にもサワリを来たすのでありましょうからやっぱり気候も季節ごとにメリハリが必要ってことですが、それでもこんな毎日が続けば極楽至極ですばい。ビール指数大上昇!
さて、上図でお分かりのように外宮の見せてもらえぬ正宮(しょうぐう)正殿の前にある拝殿でお参りして土宮(つちのみや)・多賀宮(たかのみや)・風宮(かぜのみや)へお参りし勾玉池を廻っていよいよ内宮へと向います。とは言ってもバスで20分ほどかかりました。でありますのでお伊勢参りがパックされた旅行なぞでは外宮はすっ飛ばして内宮だけというのが多いのでしょうね。
バスを降りていよいよ内宮、正式には皇大神宮(こうたいじんぐう)の神苑へと歩を進めていきますが行く手にいきなり工事中の柵が立ち塞がりました。
五十鈴川に架かる宇治橋の造り替え工事でありました。
この宇治橋は明治以降式年遷宮(20年ごとに外宮・内宮の正宮正殿、14の別宮社殿、鳥居・垣根ほか65の殿社、装束、神宝に至るまで造り替える)とともに新しく架け替えたそうでありますが、敗戦後の昭和24年の第59回式年遷宮は昭和天皇の指示で昭和28年まで延期ということになりましたがせめて宇治橋だけでも作り替えて、20年ごとという持統天皇の御世より1300年の長きに渡って行われて来た慣例を偲びたいという国民の熱い要望により、当初の予定通り昭和24年に架け替えられ、こちら宇治橋のみが式年遷宮の4年前に造り替えられると決められ平成25年の第62回式年遷宮に先立つ4年前即ち去年見事架け替わったのであります。と言ってもわたしは出来上がりをまだ見ておりませんが。
残念ながら宇治橋の前後にある鳥居はくぐれませんでしたが火除け橋の向こうに建つ“一の鳥居”をくぐって参道を進みます。いよいよ放逸無残な現し世(うつしよ)から清浄無垢な常世(とこよ)の世界へ。
参道は掃き清められ神苑の森には1000年来変転する日本人を見て来ただろう巨木があちこちに聳え立ち時折枝葉が風に鳴る音だけが聞こえて参ります。
ううう、ちょ~予想と違っておりました(昨日までの)。外宮をお参りして薄々は感じておりましたけれど・・・。
参道は折れ曲がって石段となり写真のように登った先に鳥居が立ちその向こうに拝殿であります。
うう、鳥居と拝殿の間は思ったほど広くありません。やおら石段を登り詰めて顔を上げればすぐ正面、賽銭箱の先には再び白い布が懸けてあったのでありました。やはりその先が見えないのであったのであります・・・。
それはそれとして、前回ご紹介しましたように伊勢神宮の外宮の御祭神である豊受大神はイザナミのオシッコから生まれた(尿=ゆまりに成れる神)ワクムスヒの子でありましたが(古事記に拠る)、内宮の御祭神である天照大神(正式には天照大御神)は、カグツチを生んだあと死んだ(神避る=かむさる)イザナミを追って黄泉の国に尋ねたイザナキがこの世に逃げ帰り、死者の国の穢れを濯ぐために禊ぎをした時に左目から生まれた(左の御目を洗いたもうた時に成れる)神であります。
因みに右目からは月読命(ツクヨミ)、鼻から生まれたのが建速須佐之男命(スサノウ)であります。も一つ因みにギリシャ神話に登場する智恵と戦の神アテナは神々の王であるところのゼウスの額から生まれました。
さて上述の3神を生んだイザナキは大いに喜び「吾は子を生み生みて、生みの終(はて)に3柱の貴き子を得つ。」とおっしゃって天照大神に向かい「汝命(いましみこと)は高天の原を知らせ(治めよ)。」次に月読命には「汝命は夜の食(をす=治める)国を知らせ。」最後に須佐之男命には「汝命は海原を知らせ。」とおっしゃいました。
因みに、ギリシャ神話では巨神(ティターン)族のクロノスとレアーの間に生まれたゼウスが天空を、兄のポセイドーンが海を、長男のハーデースが冥界をそれぞれ治めておりますのが好対照でありますね。
ところでイザナキは誕生した3神にそれぞれの国を治めるよう託 (事依さす)しましたがスサノウだけが託された国を治められず、泣いてばかりおります。あまりの泣き声の激しさに青山も枯山になり河海も悉く干上がり、悪しき神の声が満ち満ちて万物に災いが降りかかります。
そこでイザナキ「何ゆえだ?スサノオよ、国を治めずして泣き喚くのだ?」
スサノオ答えて言うには「私は母がいるという根の堅州(かたす)国に行きたいのです。それゆえ泣いているのです。」
ここにイザナキ大いに怒りて「しからば汝はこの国に住むべからず。」とおっしゃって、たちどころにスサノウを追放なさった(すなわち神逐(かむや)らいに逐らいたまいき)のであります。
この後イザナキは近江の多賀にお隠れになられたのでした。
ということで今回はここまで。
次回高天原におけるスサノオのワルさ振り並びに天岩戸の一件などお届けしますので乞う、御期待!
亭主敬白