ふるさとのお社(9)

ふるさとのお社(9)
~幕末編番外松蔭神社㊦~
時鳥(ほととぎす)血に啼く声は有明の
月より他に知る人ぞ無き   (久坂玄瑞)

いつまでも残暑が続きますが、皆さんその後いかがお過ごしでしょうか?

昨年秋のリーマンショックから1年。世界中テンヤワンヤの騒ぎも取りあえず一段落し、このところ景気は回復基調と報道されているようですがどうなんでしょう、久留米の景気。なんだか冷え切ったままのようで、というかどんどん悪くなっているみたいな感じがしているのは私だけでしょうか。

先日の衆議院議員選挙で自民大敗・民主大勝政権交代の結果となったのは、なんとか現状を変革したいという日本国民の大方の意見が選挙に反映したのであり、さほど民主党に期待はしていないけど取りあえず政権を担当させてあげようという日本国民のお情けであるのでしょう。どちらかと言えば積極的に政治に関与して行こうというより消去法的に考えたら民主党に投票した、ってな人が大多数だったと存じます。一年前以前みたいな好景気が続いていたらまだまだ自民党は安泰だったでしょうし総理もあんなにクルクル替わらなくてよかったでしょうし鳩山弟氏も選挙中あんなに安っぽく“正義”を振りかざさなくてもよかったでしょう。

選挙は終わりました。それでも景気は悪い。で、わたしタバコ止めました。だって月に1万円以上タバコにかかってましたもの。体に悪いし。

ところが大方の予想通り、太るのですね。

ただでさえご飯がおいしくなった上に、収入は減る―経費は減らない=可処分所得は減る=ヤケ酒は増えるといいう恐怖の連鎖の前にわが体はメタボ予備軍から純正メタボへ順調に生育。血圧も高くなってきた昨今、医療費の増大は致命的でありますのでこれではならじとスイミングに精を出す今日この頃なのであります。(どう転んでもお金がかかるのね・・・)

でありますので新政権がしばらくは消費税を上げないというのであれば、どうせ歳入不足は火を見るよりも明らか。だったらタバコ税を上げて構いません。11,000円でも問題ありません。(野下君にゃ悪いけど)

ですけど酒税は上げてはいけません。特に世界に冠たる日本国の宝である日本酒は。まァビール風味のアルコールが1100円を切るというのもどうかと思うのでそっちは上げていいけど、日本酒は下げるようにお願いしたい。日本酒の酒税が下がり消費が増えれば米の減反がそれだけ減るから日本の農業のためにもなりましょう。

さて下の写真は萩の明倫小学校であります。藩校明倫館の跡地に昭和10年に建てられました。

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久坂玄瑞は藩医の次男として生まれますが15歳で親兄弟と死別し天涯孤独の孤児となりました。明倫館では秀才の名で通っておりましたが17歳で松下村塾へ学びます。長身白皙の美少年であったそうです。「久坂は清潔、激烈であるから他の罪悪や濁りを容赦しないところもあるが、それでいながら縦横無碍の才があり、しかも自然に人に愛せられるところがある。」と松陰は語っております。

一方、久坂より1つ年長の高杉晋作は150石取り上士の長男として生まれ長じてはこちらも明倫館では成績優秀で将来は藩の重役へと嘱望されておりました。ところが松陰の噂を聞きつけ家人の反対を押し切って松下村塾へ通うようになりました。

松陰は高杉の俊敏と鋭気を愛しましたが、一面強情で人を人と思わない傲岸さのために大成しないのを憂い、まず久坂を立て然る後高杉を立てるということをしましたので高杉は発奮し大いに励んだといいます。

安政の大獄で松陰が処刑された後、松下村塾に学んだ50人余の門下生は松陰の意思を継ぎそれぞれ維新の志士として風雲を巻き起こすのであります。

なかでも藩論を尊皇攘夷に統一ひいては倒幕へと引っぱる牽引力となり、京都朝廷への働きかけにも政治力を発揮し、真木和泉守をはじめ諸国脱藩浪人の志士達と連携・組織化する指導力を持っていたのが久坂玄瑞であり、奇兵隊(正確には力士隊と一部遊撃隊)を以ってして藩論を倒幕にまとめ、征長の幕府軍を打ち破り明治維新への大道を切り開いたのが高杉晋作でありました。

ではありましたが、御存知の通り久坂玄瑞は蛤御門の戦いにおいて鷹司邸で自刃。享年25歳でありました。まったく以って稀有の人材がまた一人早逝したのであります。嗚呼。

このとき高杉は萩野山獄に繋がれておりましたので参戦できずさぞ悔しかったろうと思います。が、結局運命は高杉の回天を準備しておりました。この戦いののち2度にわたる長州征伐を乗り切った長州は薩摩と連合し倒幕へと大きく前進します。

高杉が長州に勝利をもたらした2次征長の翌々年の慶応3年、彼は下関で肺結核により死の床に着きます。

死の数日前高杉が詠んだ連歌の上句。

面白き こともなき世を 面白く

野村望東尼(もとに)が続けて、

住みなすものは 心なりけり

それを聞いた高杉は「ほほう、おもしろいのう。」と言ったとか。

最後の言葉は「吉田・・・」であったそうです。享年29歳。久坂に遅れること3年でありました。

ということで松陰神社編は終了です。お疲れ様でした。

それにしても萩はいい町でした。侍屋敷の家並がそのまま保存されているし、天守閣さえありませんが城跡を海に抱かれたような指月公園も散策に素敵だし、遊覧船に乗って近江八景ならぬ萩八景を尋ねるのも乙なもの。博物館も見応えあります。もちろん焼き物好きには堪えられない場所ですね。お茶椀は「一萩二楽三唐津」とか言いますし。それに海に面していますから当然サカナが旨い。楽しい夜を過ごしました。みなさんも是非一度ゆっくり遊びに行かれたらいかがでしょうか。路地や横丁に入り込んでみるのも面白いですよ。

さていよいよ10月に入り大同窓会も目前であります。当日はバタバタと忙しかった昨年と打って変わってお気楽な気分で騒げそうですね。それでは当日!

お会いしましょうね。

亭主敬白

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