ふるさとのお社(8)


ふるさとのお社(8)

~幕末編番外松蔭神社㊥~

かくすればかくなるものと知りながら

已むに已まれぬ大和魂  (吉田松陰)

時の経つのは早いもので今年もすでに9月の声を聞くようになりましたが、みなさんにはお変わりありませんでしょうか?

昨年の41回明善大同窓会からはや1年。感動のグランドフィナーレからあっという間のこの1年でありました。

来る1011日の42回大同窓会は当然ながら49年卒の担当で、漏れ聞くところによればオミヤゲはフォークセットだそうな。メーカーはノリタケかしらね。だとしたら我らのスプーンセットとお揃いでヨカね。

で、ここだけの話ですが当日サプライズゲストが登場するげなです。もちろん明善卒で、九大まで行っちゃったロッケンローラー。もうお分かりですね。ですが当日まで秘密ということなんで名前は明かせませんがご当人には失礼ながら、その長いお顔が高杉晋作によく似ていらっしゃるんじゃありませんか?チョ~バタ臭い高杉であります。高杉は短躯でありましたがこちらは長身で以前聴いた番組の中で「人生はロッケンロール」とのたまっていらっしゃいました。うううむ、じつにカッコいいのであります。が、ご存知の如く高杉も図抜けてロッケンロールな人生でありました。

というわけで無理矢理つないで萩の話に戻りまして。

松陰神社前下車、境内を真っ直ぐ東へ進むと松陰神社であります。

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明治40年創建であり御祭神はもちろん吉田矩方命=松陰先生であります。通称寅次郎、名が矩方(のりかた)、字(あざな)は子義また義卿。松陰は号であります。二十一回猛子とも号しました。若い頃までの呼び名が通称、名が本名、成人してのち直接名を呼ぶのは無礼だということで中国式に字を設けてそれを呼び合いました。官名があればそれが優先されたようです。松平伊豆守、略して松平伊豆とか、まあ大体武家の話ですが。で号は俳人や画人など文人としての名ということになっておるようです。

正面の社殿は昭和30年に新築されたもので旧社殿は末社として松門神社と呼ばれ松陰の弟子42柱を祀っております。

ところで松陰神社は東京にもあります。じつは東京のほうが由緒が古い。安政6年井伊大老の大獄により松陰が処刑されました。享年わずかに30歳であります。処刑の2日後桂小五郎(のちの木戸孝允)・伊藤利助(のちの博文)らが獄吏から屍骸を貰いうけ小塚原に葬り4年後の文久3年高杉晋作らが今の世田谷の松陰神社の地に改葬したことに始まります。

さてお参りを済ませ、参道をバス停のほうに戻ります途中右手にあの有名な松下村塾が現存しております。

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松陰のここでの教育は2年そこそこであります。

そもそも松陰は大変な秀才でありました。9歳から教授見習いとして藩校明倫館に出勤。11歳で藩主毛利敬親に山鹿流兵学を御前講義しております。20歳で外冦御用掛りに任じられ21歳で4ヶ月の九州遊学。その折肥後の宮部鼎蔵と肝胆会い照らす仲となりました。22歳のとき江戸へ遊学。そのまま藩の許可を得ず東北へ遊学したため脱藩と見なされ士籍を剥奪されますが松陰の才を惜しんだ藩主の温情により10年間の遊学を認められ24歳で再び江戸へ。そのとき待ち受けていたのが「ペリー来る」の報でありました。ただちに浦賀に赴き事情を探った松陰は藩主に向かい、各諸侯は本領に安堵せず広く天下のために乗り出し尽力せねばならないとの意見書を提出。自らは国禁を破って外国へ渡り見聞を広め勉強せねばならないとて長崎にむかいロシア線に密航しようとするも失敗します。再び江戸下田へ戻りアメリカ船に密航しようとしましたがこれも失敗。もはや発覚が免れないと悟った松陰は自首します。1854年幕府より長州藩へ送られ萩の野山獄(士分用)へと収監されました。

かわいそうなのが下田での密航のお供に志願した金子重輔であります。彼は長州藩の足軽でしたが松陰に傾倒し藩に迷惑がかかるからと脱藩して同行を懇願。意気に感じた松陰は許しましたが結局失敗に終わったのち金子も萩に送られます。江戸の伝馬町の牢に収監されていたときに罹った瘡が全身を広がったうえ結核性の痢病を患っていた金子は道中苦しみながら、松陰が入った野山獄の向かいにある岩倉獄(庶民用)に押し込められた翌年、松陰必死の助命嘆願も虚しく25年の生を終えたのでありました。

野山獄で12ヶ月が過ぎ松陰は実家の杉家にお預けとなります。幽囚の身ではありましたがまず実家の一室で、のち敷地内の小屋を改装しまた手狭になり増築し、身分の高下に関わらず教導したのが現存する上の松下村塾であります。

さて村塾の双璧と言えば久坂玄瑞と高杉晋作でありました。

というところでこの先をもう少し書いていきたいと存じますので、この続きは次回松陰神社㊦でお付き合いくださいね。

それでは1011日の大同窓会で久し振り再会いたしましょう!!

亭主敬白

気がつけば来月は明善大同窓会であります。あっという間の1年でしたね。

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