みのるの古文書談義「ふるさとのお社-2」

      ふるさとのお社(2)

 ~水天宮①~

早いものでもう2月ですね。巷間悪い風邪が流行っていますが、みなさんお元気ですか? 正月は過ぎましたが今年も健康第一で参りましょうね。

さて第2回目は水天宮であります。もちろん瀬下町にあります総本宮水天宮のことであります。


minoru11

 明治通りを真っすぐ西へ。鹿児島本線の高架をくぐって三叉路(元ここにも大鳥居がありました)をまっすぐ行くと筑後川にぶつかります。頭を右にめぐらせばこの鳥居であります。

 

 

 minoru21

5月ともなればこの参道にびっしり露店が並びますね。

minoru31

 池をまたぐ太鼓橋を渡って立派な唐破風門をくぐるといよいよ本殿であります。

 御祭神は天之御中主神(あめのみなかのぬしのかみ)、安徳天皇、二位の尼(平清盛室時子)、高倉平中宮(たかくらのたいらのちゅうぐう建礼門院徳子)であります。壇ノ浦から落ちてきた建礼門院に仕えていた女官伊勢なるものが筑後川のほとりに祀ったのが水天宮の起源となったといいます。(本殿横には千代と名を改めた伊勢を祀った千代松神社があります)

 天之御中主神は日本神話の最初に登場する宇宙の根源的な神だそうであります。一説に拠れば、“水天”は字の通り仏教における12天のうち護法善神の水神ヴァルナにあたり、この神がもともとはインド・イランあたりの始原神であったことから明治政府による神仏分離令により記紀神話の根源神であるところの天之御中主神に置き換わったといいます。

 

 ところで水を司る水天は申し上げましたように12天の中に数えられる天人(=神)でありますが、ここが仏教の深遠なところで、天とはいえ6道のひとつの界でありますから天人も当然有限の寿命というものがあって、忉利天(とうりてん)に住まわれる水天もその寿命は人間の時間で3600万年ということになっており従って天とはいっても苦界でもあるのです。6道についてはまた後ほど・・。

それはそうとして水天は、日本の八百万の神のうち水を司る豊穣神の水分神(みくまりのかみ)と習合しました。つまり奈良時代くらいから始まって明治政初年まで広く行われてきた日本の神様と仏教の仏神との融合・調和で、要するに同じ神が日本と外来で姿を変えたものとする考え方から水天=水分神となり、水分神の読みがミクマリノカミ。ミクマリがなまってミコモリ。みこもり=みごもり&御子守ということから水分神=水天は安産の神、子供の守り神となりました。本来どちらの神様も子供とは関係なかったそうですが、こういう風にシャレで神様を身近に感じるセンスは日本人のいいところですね。融通無碍というかアバウトというか大らかというか・・・でもホントかしらね。

 

現在の社地は1650年、高良大社の大鳥居と同じく有馬第2代忠頼公の寄進によるもので18世紀後半より安徳天皇を抱いた二位の尼、建礼門院、平知盛(とももり)を祭るようになったそうです。それ以前の水天宮の前身のお社はいつの頃からか巫女が仕える尼御前(あまごぜ)社と呼ばれていたもので尼御前大明神、荒五郎大明神、安坊大明神の千歳川(筑後川)の水神3柱をお祭りしていたそうな。

水天宮の縁起としてそもそもどうなんでしょう?土着の水神信仰が九州に多い平家伝説に結びついたものか、あるいは尼御前社という名前からまさしくその通りの由来であったか・・・?

そうであれば、尼御前=二位の尼は納得できますね。壇ノ浦で平家の滅亡を見届けつつ孫に当たる8歳の安徳天皇を抱き「波の下にも都の候ぞ」という言葉を残して入水した清盛の奥さんであります。

また安坊も、古来より安徳天皇女帝説が流布していたことから例えば歌舞伎『義経千本桜』では壇ノ浦を知盛とともに落ちのび“お安”とよばれる女児と設定されていることなどお安=安坊で腑に落ちます。まあ幼少の天皇を安坊と擬制するのも畏れ多いことですが当時は源氏による平氏狩りは苛烈を極めておりましたし。

荒五郎についてはちっと謎。知盛は清盛の四男であり五郎となれば五男の重衡(しげひら)を指すでしょう。ここがちょっと引っかかりますね。

 

平家の公達でイケメン度ナンバーワンを争うのがこの知盛と重衡であります。あとヤングの敦盛ね。敦盛は笛の名手で知盛、重衡の従兄弟に当たります。一の谷の合戦で熊谷直実に討ち取られますが時に16歳。平家物語では世の無常を悟った直実はこれより出家いたし法然の弟子となります。織田信長の「人間五十年~、下天のうちをくらぶれば~」で有名な幸若舞『敦盛』で世に知られております。前にも書きましたね。  『世に青葉残して二八の花は散り』(柳多留から・・青葉は笛の名) 『黒谷に坂東声の僧独り』(同・・黒谷は法然の在所。私ごとですが京都黒谷北の真如堂の紅葉は人が少なく雰囲気がとてもようございました)

重衡は、南都(奈良)の寺院勢力との戦いで配下の浅慮から興福寺、東大寺を灰燼に帰せしめ就中東大寺大仏が焼け落ちたことは平家の評判を著しく損ないまた南都の宗徒から大そう憎まれました。のち一の谷の合戦で源氏に捕らわれ鎌倉へ送られ、平家滅亡ののちに南都側へ引き渡され斬首のうえ仏敵の大悪人として首を晒されました。時に28歳。こちらも教養も高く容姿は牡丹のようであったと伝えられております。平家物語では源氏方の女性との交感や壇ノ浦を生き延びた妻との別れなどを織り交ぜ、坂東武者の野卑な東えびす振りと好対照に描かれております。それはともかく大仏を焼き落とすほどであったなら“荒”五郎と言えなくもありませんが水神としてお祭りするならやはり知盛のほうでしょう。

その知盛ですが、このナイスガイの死に際はまことにカッコいいですね。兄の総帥宗盛の消極性により平氏の勢力が日に日に後退していくなか度々積極策を建言するのですが悉く退けられる。とうとう壇ノ浦で平家の敗北が確実となるや天皇の御座舟を手ずから掃き清め、「見るべきほどのものは見つ」と言って浮かび上がってこないように鎧を2枚重ねに着て入水します。見るべきほどのもの―とは、最後の戦での平家一門の滅亡か、はたまた栄耀栄華の頂点から奈落の底へと足早に駆け抜けたおのれの人生か、ともあれまことに潔い死に方でありました。

 

さて建礼門院徳子であります。

高倉天皇の中宮にして安徳天皇の生母であり清盛と二位の尼(平時子)の娘。知盛の妹であります。本来は皇太后徳子でありますが、高倉上皇薨去後なんとまあ舅の後白河法皇の後宮へ入れられそうになった折これを拒否して出家。以後建礼門院と呼ばれます。

1185年旧暦324日午後5時壇ノ浦の戦いは平家方の惨敗で幕を下しました。赤間関(下関)の海は血と平家方の幟(旗)で真っ赤に染まりました。ちなみに平氏の幟は赤。紋は揚羽蝶。源氏方は白で紋はなんと笹竜胆(ささりんどう)!であったそうな。平氏方の兵士はあるいは討たれあるいは入水しカニと化し、生き延びた女官はあわれ遊女となりました。

で、建礼門院ですが、二位の尼が皇室の三種の神器のうち神璽(しんじ=八坂瓊勾玉やさかにのまがたま)の入った小箱を脇に挟み神剣(天叢雲剣あめのむらくものつるぎ=草薙剣)を腰にさし安徳天皇を抱いて入水したのち、御ふところに石や硯を詰め込んで後を追いますがお召し物の浮力のため海面に漂っているところを源氏方の渡辺某に御髪をクマデに引っ掛けられて助け上げられました。「あなあさまし。あれは女院にてわたらせ給ふぞ。」こうして彼女は蘇生し義経の元へと。

それにしても二位の尼は天晴れなお母様でありますな。入水時の御年はたぶん59歳。どうやら娘の徳子をいまひとつ信用してなかったようですが。

三種の神器のうち八咫(やた)鏡はすでに源氏方に取り返されて御所にあり神璽も箱が浮き上がって戻りましたが神剣だけはその後の懸命の捜索にもかかわらず赤間関に沈んだままということになっておるそうな。現在では鏡は伊勢神宮にご神体として、剣は熱田神宮に同じく、神璽は皇居に安置されているそうであります。よくわからんけど。

ご存知のように建礼門院はその後大原に庵を結び安徳天皇はじめ平家一門の菩提を弔うわけですが『平家物語』の終わりの別巻もしくは後世の加筆とも思われる「灌頂巻(かんちょうのまき)」では大原に隠棲している彼女の元へ後白河法皇が尋ねてくる「大原御幸」の場面があります。ここで彼女は法皇の問いかけに6道を生きながら経巡ったと答えるのであります。

帝の后と成りわが子が次の帝となった(天道)。一門の都落ちで愛別離苦をつぶさに味わった(人間道)。長い船上生活で水や食べ物に事欠いた(餓鬼道)。源氏との戦さの明け暮れであった(修羅道)。戦さに負けて子は親を親は子を夫は妻を妻は夫を失くした(地極道)。

畜生道については「龍畜経」云々の話がありますがよくわかりませんし、もっと別の話がありそうですね・・近親相姦とか義経との一件とか・・いまいちはっきりしませんが当然酷い目にあったのでしょう。

ともかくも1191年頼朝が鎌倉幕府を開く1年前に先述の重衡妻藤原輔子と藤原信西娘阿波内侍(どちらも夫や父を惨殺されている)に看取られながら彼女は36歳の波乱の生涯を閉じました。(平家物語に拠る)

そして『平家物語』も巻を閉じるのであります。

 

というわけで今回はおしまいであります。少々長すぎた?

まだまだ熱血怒涛の真木和泉守編が控えております。次回の水天宮②をお楽しみに。

                       亭主敬白

コメント

Thank you for your interest in my blog.
But i was wondering why you need my pic. Can i ask how you are going to use it, and which one you are talking about?

2009 年 7 月 14 日 8:18 AM | 田中 実

Greatings, Can i take a one small pic from your blog?
Thank you

2009 年 7 月 9 日 8:16 PM | Elcorin

いやあ、なかなか読み応えがありました。実は自宅から歩いて48秒もあればこの鳥居に着くのです。
天之御中主神はじめ祀られておられる方々?は知っていましたが、ここまで詳細に調べられているのは驚きです。敬服致します。
そんなこと何も知らずにガキのころ、よく境内で「がちゃん」とか独楽回ししていたなあ。
今もがき道に居るけど(笑)

2009 年 3 月 8 日 2:30 PM | exzy

コメントの投稿

* コメントフィード

トラックバックURL: http://izumipj.com/rakuten/wp-trackback.php?p=125