****ミノルの古文書談義***
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よんでみ亭-第11-」2003/8/1

その後の久留米藩(この稿ちょっと長いです)

 

前にも申した通り、久留米藩最後の藩主11代頼咸(よりしげ)公が夫人を将軍家から迎えたこともあり藩論は佐幕派でしたので、真木和泉らの尊皇攘夷派は藩外に出るほか仕方なかったのですが、彼らの活躍と敗北のあと、久留米藩は幕命によって2度の長州征伐に出兵させられております。

 

(その頃、福岡藩は、幕府と長州の間に立って講和を図っていましたが、幕府より長州との仲を疑われるに及び、一転して勤王派を徹底弾圧しました。

が、佐幕派一辺倒になったのも束の間、王政復古の大号令により幕府瓦解。新政府につくか旧幕府側につくか、迫られると三家老の首を差し出して申し開きの後、官軍の一員として戊辰戦争に参加しますが、長年にわたる財政逼迫の上の大出費により、とうとう明治3年(1870年)、藩ぐるみ偽札事件まで引き起こします。

尚、名門黒田家は幕末まで続きましたが直系は、一代の英傑藩祖如水孝高(よしたか)から数えて6代で絶えています。)

 

(佐賀藩は、財政改革が比較的うまく行き、また名にし負う“教育”藩の上、藩主鍋島直正(なおまさ)[閑叟(かんそう)]が蘭癖大名と呼ばれるほど開明的でした。軍事力整備のため、早くより蘭学を研究させ、大砲(世界的にも最新鋭のアームストロング砲)鋳造のため反射炉をつくり、蒸気船(純国産ではないが)も造らせました。

つまり、この当時日本で最も進んだ西洋式軍事力を持っていましたので、雄藩・幕府の両方から憧憬されますが、直正公は政治的に慎重で、ということは薩長のリードが嫌で、どちら側につくか態度を鮮明にしません。

結局、鳥羽・伏見の戦いの後、新政府入りを決断。例のアームストロング砲で、江戸上野で彰義隊を壊走させ、函館五稜郭沖の海戦でも佐賀海軍は華々しい活躍をしました。ということで、維新史上“薩長土肥”の雄藩としてシッカリ名を連ねとりますネ。

しかし、後には土佐藩とともに、薩長主導の明治政府中枢から弾き出されます。)

 

で、久留米藩です。

慶応4年(1868年)、前々年第2次長州征伐が幕府側の大敗で終り、前年大政奉還がなされるにおよんで、佐幕派失脚。

長州の奇兵隊に倣い、武士・庶民の区別無く“応変隊”を編成し、新政府に加わって江戸城攻撃から五稜郭の戦いまで参加します。〈わたくし不覚にもこの件も存じませんでした。〉 

 

明治2年(1869年)、1年5ヶ月に渡った戊辰戦争も終り、274藩が版籍を奉還。

 

ということで、250年間続いた有馬家久留米藩はココに終焉を迎えたのでありました。チャンチャン。

 

付けたり;ココから先は参考とボヤキです。

 

この年(明治2年)、新政府より、維新に勲功のあった大名(個人)や私人に“賞典禄”(ボーナス)が授与されます。

長州藩主親子各10万石、薩摩藩主親子各10万石、土佐藩主親子各4万石、佐賀藩主2万石(佐賀藩はやはりギリギリまで日和見でしたので)

公卿では、岩倉具視・三条実美各5千石。

西郷隆盛2千石、木戸孝允・大久保利通各1800石など。

 

そして久留米藩主に1万5千石。

九州の大名の中では、薩摩を除き、肥前大村藩大村氏(石高2万7千石)の3万石、鍋島氏2万石についで3番目でした。鳥羽・伏見の戦いには参加せずにこの行賞ですから、勿論脱藩はしましたが真木和泉等勤王の志士たちの貢献が斟酌されたと思われます。ちなみに福岡藩主1万石、柳河藩主5千石でした。

 

藩主の中には、与えられた禄の一部を藩士・将兵に一時金として分与した者もいたそうですが。さて久留米藩はどうしたか、今度調べときますが、、、、キリはないから。やりだすとねエ。人心騒然としたこの時期、武士は失業するし、藩財政に余裕は無かったし、新政府にも金は無し。税金は上がるし、物価は恐ろしく高いし、一体庶民はどうしてたのかしら?

 

その後殿様方は、爵位を貰って東京へ。こうして各藩の藩主は領国から切り離されていきました。(有馬公は伯爵でした。黒田・鍋島は侯爵)〈公・候・伯・子・男爵の順ですね。〉

ところが、なんのこたーない。勝った藩の殿様も負けた殿様も、倒幕貢献度の差こそあれ廃藩前の藩の石高に応じて受爵し、永世禄を貰い、破産寸前の藩経営から足を洗って、銀行なんかに投資して(新政府の方針でしたが)、皆さんお金持ちになっちまったのです。

もう、熱いご飯で目黒のサンマも食することが出来るし、マズイ赤酒でなく清酒も飲めるし(どうも例えが庶民的で申し訳ない)、んでもって、財産あるしぃ―でお気楽な生活が送れる、第一、藩政の責任など負わなくていいという事になったのでした。世間では次々に士族の反乱が起きていましたが・・・・・・・・・なんだかな〜。

 

 

それでは、次回より新シリーズの予定ですが、掲示板でちょっと予告したものが、まんず 稿倫〈投稿倫理管理委員会〉を通るかどうか?通っても、亭主の品性は疑われないのか?

過日、BOOK‐OFFで仕入れた格安豪華稀購本を種本に、絢爛たる江戸情緒《おおらかな人情絵巻》を展開する――ことが果たしてできるのか?できたらできたで、友人の女性は一人もいなくなるのでは?

ということで、おおいに悩みつつ今回はこれまで。

                          亭主敬白