音楽の喜びを 教え子に伝え

    明善高の恩師 木村先生  ‘92・2・6日経新聞文化欄

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 けだるい五月の昼下がり、高校に入学したばかりだというのに、授業は右から左に聞き流すようになっていた。若葉の薫りがかげろうになって青臭く立ちのぼる木造校舎の二階に、ふいに流れ込んで来たのはカンツォーネの名曲「帰れソレントへ」だった。曲は知っているがどの歌手のレコードかは分からない。休み時間になってもまだかかっているので、隣の棟の通称「八角堂」と呼ばれる音楽室をそっと覗いてみた。

 レコードではなかった。中学生のように小さくてきゃしゃな若い男が背中を伸ばし、足を踏ん張って歌っていた。部屋全体が、うわあーんと共鳴している。カンツォーネ独特の甘美さと、雄々しさとが皮膚まで沁みこんでくるようなテノール。朗々と、まさしく朗々と響きわたる声に、自分の中で何かが崩れていくような感じがした。

 その時から「歌」というもの、「人間の声」というものに対する見方が変わった。楽器一辺倒で歌やコーラスを一段下に見がちだったのだが、肉声の表現の幅広さ、柔軟さ、緻密さがこれほどだったとは。

 彼の無伴奏のカンツォーネはこの時を含めて二回しか聴いていない。しかし、その後、私がジャズやポピュラーに傾倒していく中でも、折に触れ音楽室の風景が脳裏をよぎった。

そんな時、心の中で流れていたのはビートルズ・フォーフレッシュメン・ママス&パパス・ピーター、ポール&マリー・セルジオメンデス&ブラジル‘66といったグループの、温かく緊張をはらんだ「コーラス」だった。

 二十五年前、明善高の音楽室で出逢った木村清吾先生は市民合唱団を率い、久留米市から文化奨励賞を受けたりした。今も声は衰えない。ある年の暮れ、教え子たちが集まり先生を囲んで酒を酌み交わした。先生は楽しそうに津軽なまりで話し、嬉しそうにたくさん歌われた。みんな生徒に戻って話し、歌った。

 受賞もいい事だが、先生の歌で音楽の喜びを知った教え子の私たちこそが、音楽教師としての、先生の勲章ではないかと心から思う。

木村先生、ありがとうございます。

  江口義幸